ご祭神は大山昨命です。字深田44にご鎮座されますがこの神様は酒の神様といわれており、近江国日吉大社から勧請されました。日吉大社は比叡山の守護神ですが、上佐脇の起こりは平尾から移住してきて山口郡之助の一派で山口作之右衛門が草分けであったといいます。そのとき平尾の星野神社から山王宮のご分霊をうけてきたのがこの神社の起源と言い伝えられておりますが、はっきりした記録に書かれているのは、今豊橋で「ふくや菓子店」を営む岩瀬広吉氏方にある天和2年(1682)岩瀬宗大夫重定の書いた三州吉田城廓之由来記であり、それには「(前略)三河十七騎ノ侍銘々在村之居住岩瀬雅楽之助佐脇郷司改名岩瀬吉十郎貞秀舎兄吉左衛門氏与広忠公江勤仕旗本2成(お小姓組に属し千五百石どり)天文4年(1535)基地十郎郷民ニ談事氏神勧請坂本日吉三王宮ヲ写シ宮柱太舗立、翌年9月9日祭日行也(後略)」と記されています。岩瀬氏は今川義元の三河十七騎の一人で今お宮様には義元より寄進されたといわれる木の狛犬一対と木槍数本と獅子頭等があります。また社紋は今川家の五七の桐を用いております。むかし山口氏と岩瀬氏とがお宮のことで争い武力の背景がある岩瀬氏には勝てないのが当然で、山口家の言い伝えでは持っていた古文書をことごとく裏の藪に埋めさせられたとのことで、今末社中に本社と同じ日吉社があるのはいかにも不自然で、これが平尾から勧請してきたものではなかろうか。境内末社にある稲荷社は領主大岡越前守が毎年の祭日には御神酒代として銀五匁を奉納したことが記録にあります。大体銀60匁で一両に換算することになっていました。日吉社のお使いの動物は猿で、上佐脇では猿を虐待した人は不運を招くといわれています。
広報みと:❻文化財(神社) 昭和56年7月15日号より