このお宮様は、京都の八坂神社から勧請されたが、お祭りのときの渡御の先導となるほこに使われる柄の部分の竹は、どういうわけか西方の旧家鈴木家よりもらってくる慣例であった。鈴木家には大きな竹やぶがあったが、昭和10年ごろ開墾されて竹がなくなると、その後は竹のかわりとしてお金が寄贈されていたという。竹は平年が12節で間年は13節の長さに切り先端に3つ手の剣を付け、上部から4本の綱で支え、下部の四本の綱で持ち上げ、前進する壮大なほこである。又同時に、竹中安全などと書かれた四角い箱のついた「とうふ」というものを、倒したり起こしたりしながら渡御する珍しい行事も行われる。
山伏塚 (大岩ともいう)
6尺4方の石があって、これにさわるとおこりを病むと恐れられていた。これは御馬城攻防のときの戦死者を埋葬したところであるとのことで、現在の豊川用水の建物のところに当るが、岩の一部は引馬神社境内に移されてある。
広報みと:❹郷土の伝説 昭和51年6月15日号より