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御津町商工会

② 念仏橋の由来

徳川時代、上佐脇の南方に野川という川があって、要路上に橋がなく、久しく交通不便をかこっていたが、寒村のことで架橋するなどということは夢物語りである。
ところが、あるとき奇特な青年たちが相議して近郷近在をお念仏を唱えて巡り、各戸から恵まれた一文一文の喜捨金を積んで架橋の資金に充てた。このようにして完成された橋であるから、その名は期せずして念仏橋と命名されたのである。
この言い伝えは恐らく実説であろう。区有文書を見ると享保9年(1724)の地図には橋の記号を欠くが、享和2年(1802)の地図には橋の記号が明記されてあるから、この間の新設と思われる建設美談であるが、惜しむらくは昭和8年に不況下にあえぐ農村救済事業として、この川が拡幅改修されたとき、橋も架替られたが、県の工事担当官は、この橋名を知りつつ仏臭のあるいやな名であるということで抹殺し、勝手に野川下橋という河川名に因んだ平凡な名に変更してしまったのである。

         広報みと❹郷土の伝説 昭和50年11月20日号より