広石の北部山岳地帯に茂松域があって、細川氏の居城となっていたが、今から500年くらい前の文明、長享(1469-1488)という年号のころ、今川氏の攻撃によって落城した。その日がちょうど正月15日のもっちいの祝日(小正月)であったが、広石の村民は落城をかなしみ、もっちいの飾りをするのをやめてしまった。もっちいの飾りというのは、その日に柳や竹の枝に、まゆの形をした団子や餅または小判などの縁起物を飾り、まゆを始め農作物の豊年を祈ったもので、標準語でいえば、まゆ玉である。この飾りつけを次の年も、その次の年もずっと今日まで中止されてきている。これを泣きもっちいと称するのである。
しかし、広石のうちでも、すでにそのとき飾りつけを終わっていた家が二軒あったということで、この家はそのまま今日に至るまで、もっちいの行事を行っているという。
広報みと:❹郷土の伝説 昭和52年1月15日号より