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御津町商工会

① 七本塚

御津町大字上佐脇字河原田(旧字)というところに存在したが、昭和40年の土地改良工事により削平され今はない。明治時代までは七つの塚がならび、一つ一つにうつぎの木が植えられてあった。削平されるころはまだ3つの塚が残っていた。他の4つはいつの間にか、なしくずしに取りはらわれたものと思われる。
この塚は、当国鷺坂の戦いに敗れた新田義貞の兵、主従7人がここまで落ちのびて自刃して果てたのを里人があわれみ、埋葬してやったものだとの言い伝えがある。後世歯痛になやむ者はこの塚に祈ると、よく治るというので、むかしは金がなかったから滅多なことで医者にかかることをしなかったから、そこで歯を痛む多くの人が平癒を祈願した。精神的な暗示が効くのであろう。治った礼には籾ぬかを1升塚にささげることになっていて、塚は常にもみぬかに埋もれていた。その風景は昭和初年まで残っていた。
明治時代までの古老は、夜間白馬にまたがった血にまみれた武将が疾駆するのをよく見たと言い伝える。思うに七星崇拝に由来する七人塚というのと軌を一にした物語りであろう。土地改良の際、地下50センチ位のところから竹籠の編目様の叩き模様のある厚手の須恵器片を数片発掘した。

         広報みと❹郷土の伝説 昭和50年8月20日号より