赤根字向野の松林中に一本の巨松があって、塚の目印になっていた。
天和2年(1682)ごろ、たちの悪い女性がいて放火をしたり、物を盗んだり人のいやがることばかりするので、村の人は大いに迷惑し、この松の木のところに深い穴を掘り、欺いで穴の近くにゆかせ不意に後から突き落として生き埋めにしたということである。名をおかめといい蒲郡市大塚町の長興寺におかめの位牌があるといわれる。
この一本の巨松は、豊橋別院再建のとき梁の用材として寄進され今はない。ここに穴があけられていて、産婦の後産などを納める習いになっていた。荒れはてた塚も今は、誰が修理したのであろうか、ブロックの石垣にかこまれている。人も死せば仏様であり、その冥福を祈れば必ずよい功徳となるであろう。
広報みと:❹郷土の伝説 昭和51年11月15日号より