本宮山登山道を登りきると、砥鹿神社奥宮の拝殿前に出る。
この山上にある奥宮には、本殿・拝殿・神饌所・社務所・参籠所などの建物があり、本殿には里宮と同様に大己貴命が祀られている。砥鹿神社に残されている棟札によれば、天正2(1574)年に奥宮の社殿が新たに造られたことが分かるが、砥鹿神社が最初に史上に現れるのは、『日本文徳天皇実録』に記された嘉祥3(850)年の神階授与であり、奥宮の存在は少なくとも古代までさかのぼるのであろう。その始まりについてはよく分からないが、本宮山への山岳崇拝など原始的な信仰にその起源が求められると考えられる。
豊川下流の平野にそびえる美しい高峰で、山内に巨岩や巨木もみられる本宮山は、古くから信仰の対象であったことであろう。山上及び周辺には末社として荒羽々気神社・八柱神社・守見殿神社・岩戸神社・乙女前神社の五社もみられる。
砥鹿神社奥宮の社叢 【県指定天然記念物】
奥宮の南には自然林の社叢が広がっており、県の天然記念物に指定されている。昔から神域として保護されてきたため、スギの巨樹が林立しており、中でも社務所の北にある「本宮山天狗の寄木」とよばれる御神木は最大のものである。根回り11m、樹高約30m、枝張り約20mあり、樹齢千年ともいわれている。
ここの社叢の特徴は、ツガ・モミ・イヌガヤ等の針葉樹やヤブツバキ・ヤブニッケイ・アカガシ・サカキ・ツクバネガシ等の常緑広葉樹林などの暖地性植物が多いところにある。標高700mを超える高所に、このような暖地性の植生がみられるのは県下でも珍しく、植物分布上貴重な場所である。
粥占祭 【市指定無形民俗文化財】
1月15日の早朝に奥宮の拝殿で行われる、その年の作物の豊凶を占う神事である。準備は12日から始められ、前日には宮司以下の神職が本宮山上において参籠(一定の期間こもって祈願すること)する。当日は午前4時に4合分の米と水を釜に入れて煮る。粥状になった頃、作物の名を刻んだ管竹27本を入れてかきまぜながら煮る。午前8時に宮司以下が所定の場所につき祝詞を奏上したのち、卜定(吉凶を占い定めること)の儀が始められ管竹を釜から取り出す。その管竹に入っている粥の量で作物の豊凶を占い、その結果は粥占符としてただちに印刷され、祭礼終了後に人々の求めに応じて配布される。
豊川の歴史散歩:❻本宮山麓を行く 平成25年10月発行より