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御津町商工会

③牛の滝とその付近の自然

籰繰神社を出て、畑や256-1.jpgハウスが広がる土地を1.2㎞北に進むと、県道21号に出る。東にまがるとすぐに「牛の滝」の看板があるので、ここを南に入る。
100mも行くと駐車場があり、ここからさらに下っていくと、牛の滝を間近に見ることができる。
牛の滝は、境川が本宮山麓の扇状地を浸食し、領家片麻岩の部分が崖となって残り滝になったものである。高さ10m、幅2m余りの雄滝と、その下流にある高さ4m、幅4mの雌滝からなり、常竜滝とも黄牛滝ともよばれ、古くから三河の名勝地として知られている。滝の周囲には自然林が広がり、シイ・モチノキ・サカキなどの暖帯広葉樹が上層を覆い、下層にはアオキ・ツルコウジ・ウラジロ・クリハランなどが茂っている。

牛の滝の由来 【むかしばなし】
江戸時代のことです。当時、牛の滝には竜が住んでいると信じられ、常竜の滝とよばれていました。東上村の百姓で魚取りの名人だった六左衛門は、ある日、常竜の滝にアユをつかまえにきました。少し疲れたので滝つぽから出て岩に腰をおろしていると、あたりがザワザワしたかと思うと、下の雌滝に流れ落ちていた水が、こちらに向かって水けむりをあげて逆にのぽってきます。六左衛門がびっくりしていると、さらにその水けむりの中から大きな黄色い牛があらわれ、激しいうなり声をあげて向ってきました。六左衛門はあわてて崖道をかけのほり、家に帰り休んだところ、どうしたことか高い熱を出して、それから間もなく死んでしまいました。村の人々は、竜神様のたたりで、その使いとして黄色い牛が現れたと考え、たたりのないようにお祀りしたそうです。それ以来この滝を牛が住んでいる滝、つまり牛の滝とよぶようになったといいます。
               (『ふるさとの伝説昔おはなし』より)

    豊川の歴史散歩:❻本宮山麓を行く 平成25年10月発行より