牛の滝をあとに県道21号を西ヘ1.9㎞進むと、道路北側に4基(炭焼平15・17~19号墳)の古墳がある。さらにこの古墳の西端の交差点を南東に入り400m行くと「炭焼4号墳」の看板があり、ここを東に入ると炭焼平4号墳がある。
本宮山麓は、古墳時代後期(6~7世紀)の古墳が多く分布する地域であるが、炭焼(平)古墳群はその中でも代表的な遺跡であり、6世紀後半から7世紀後半にかけて築造された計40基の古墳がかって存在した。前方後円墳の4号墳以外は円墳で、そのほとんどは戦後の開拓事業により滅失してしまったが、現存するもののうち5基が県指定史跡として保護されている。昭和27(1952)年に名古屋大学と國学院大学、昭和32(1957)年に愛知大学、昭和58(1583)年・平成4年に旧一宮町により発掘調査が実施され、その状況がある程度明らかとなっている。なお、県史跡の指定名称としては炭焼古墳群となっているが、埋蔵文化財包蔵地(遺跡)の名称としては地名(字名)より炭焼平古墳群としており、後者の名称の方が一般的であるため、ここでは炭焼平の名称を使用する。
炭焼平15・17~19号墳
県道21号沿いにあり、4基とも円墳である。古墳の南側の一部が歩道の下に保存されているが、墳丘が高まりとして残存しているのが見て分かる。平成4年に歩道設置に伴う発掘調査が行われ、15号墳では周溝(古墳をとりまく溝)が、17号墳では小石室が、18・19号墳で墳裾の列石が検出された。古墳の築造時期は7世紀前半頃を中心とすると考えられる。
炭焼平4号墳
昭和27(1952)年に名古屋大学により発掘調査が行われ、調査時の状況が現状保存されている。全長16mの前方後円墳で、後円部径は10m、前方部幅は6.5mと、前方後円墳としては極めて規模が小さいものである。埋葬施設である横穴式石室からは、副葬品の土器や勾玉などの石製品、ガラス小玉、金銅装耳環、鉄製品など豊富な遺物が出土した。築造時期は出土品や横穴式石室の形態などから、6世紀後半と考えられる。
豊川の歴史散歩:❻本宮山麓を行く 平成25年10月発行より