妙劉寺を出て飯田線沿いに西へ700m行くと、籰繰神社の参道入り口に出る。神社はこんもりとした社叢の中にあり、100mほどある参道の石段を登ると社殿が見えてくる。
籰繰神社のはじまりについてはよく分からないが、社伝によればもとは現在地よりも500mほど南の地(現在その跡地には鳥居や灯籠がある)にあったが、豊川の水害のため慶長13(1608)年に現在地に移ったという。神社名については、この周辺がかって和久知とよばれていたことや、祭神の保食神が養蚕に縁があることに由来するのではないかと考えられている(籰は訓読みで「いとわく」と読む)。たま、昭和時代には稚霊産神も祀られ、安産の神様としても信仰を受けている。
籰繰神社の社叢【市指定天然記念物】
籰繰神社は台地の先端部にあり、境内はこんもりと繁った自然の森の社叢(神社の森)となっている。その上層にはスダジイ・クロガネモチなどの常緑広葉樹、スギ・ヒノキ・アカマツなどの常緑針葉樹の老木があり、中層にはクロバイ・ヒメユズリハ・アセビ・アラカシ・アカメガシワ・ソヨゴ・サカキなどの中高木、下層にはこれらの幼木やクチナシ・マンリョウ・センリョウ・アリドウシなどがみられる。下草は季節によって変化があるが、ハナミョウガ・ヤブミョウガ・イノコズチ・チヂミザサ・ジャノヒゲ・ベニシダ・フュイチゴなどがみられる。