【廷喜式官社 廿六座之一 御津神社道】
この道標は、県道愛知御津停車馬線と県道金野牛久保線の交差点から、西北へ10数米歩み寄った道路の側、広石字横町境内にたたずんでいる。
廷喜式官社廿六座之一とは、廷喜式巻代9に三河国の神社26が記されており、御津神社がその一つであることを表したもので、往古から尊崇されていたことを物語っている。この標柱は、安政7年(1860年)広石村の渡辺吉兼吉によって建立されたものである。
昔はこの付近に松の巨木があり、広石村の出入口であったことから「松口」の呼称がある。
(注)式とは、法令の施行細則として出されたものを云い、廷喜式は、藤原忠平らの手によって廷長五年(927年)完成したもので、全50巻からなる平成時代初期の規定で、現に重要な資料とされている。
【右:よし田道 左:こゆ道】
広石の成田忠行さん宅の門口の北側の屋敷の一隅に、珠をいだいた地蔵尊が安置されておりその像の光背の周縁にこの文字が刻まれている。
この地蔵様は、厄除けや病魔の退散に霊験あらたかであるとのことで、一昔前までは多くの信者があって、常に香煙がゆらぎ供花があったという。なお、この像は百年位前から現在地に祀られているがそれ以前に所在については詳かではない。