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御津町商工会

⑨ 瘡守神社赤根温泉道

赤根に残る伝14.png説によると、昔蛇塚の街道に笠をかむった行き倒れの旅人がり、里人が、この病人をねんごろに介抱したが、むなしく世を去った。この旅人がいまわの際に「私を祀りあがめるならば諸病を治す」との言葉を遺した。そこで里人は祠を建てこれを祭ったと伝えられ、以来この祠に詣ると病気が平癒するとの話が、世間にだんだんと広まり信仰された。
ここのわかし湯は、鉱泉に笹を浸した薬湯で、皮膚病や花柳病に特に著効があるとされ、明治末期には旅館も建ち、最盛期の大正時代には、その数も3軒をかぞえ、近郷はもとより、豊橋、岡崎、浜松方面からの遠来の湯治客も多く、ひと頃は社務所で湯券を発行する程の賑わいを見せた。
昭和に入り次第に衰徴し特に戦後著しくさびれて、旅館も薬湯もその姿を消したが、今でも無人の社殿にそなえられた、笹の包を受けて、これを持ち帰り、湯を立ててその恩恵に浴している人は相当にある模様である。
病気が治るとカワラケ(当今はホーロク)を奉納するならわしがあり、以前は地元にそれを製造販売する事を業とした人もあった。今も神社の裏手には、奉納品の残がいが山積されて、往時の繁栄を物語る一端を残している。
なお社の名称も、そのかみは笠神社といわれ、ついで笹神社と称し更に癒神社となり、明治22年10月12日に瘡守神社と改称されて今日に至っている。
写真の碑は、神社境内の東寄りにあり、大正末期頃建てられたというが当初の所在は現在地ではなく、相楽街道から瘡守神社へ入る道路の入り口に建てられていたとのことである。

       広報みと❶いしぶみ 昭和48年5月19日号より