【右:かう中道 左:西之郡道】
県道豊川蒲郡線を御油から入り、急峻を登りつめると灰野坂の峠である。市町界を越えて落業のこの細道をほんのわずか行くと、葉もれ陽を受けた石の仏像の前に出る。仏像の舟後光に文字が刻まれ、これが道標の役目を果し、文政8年(1825年)の建立も記されている。
かう中(郷中)とは、灰野の本郷を指すもので、ここは東南の一角を残して周囲を山に抱かれ、昔平家の落人が住みついたとの伝説を留める旧灰野村の中心地で、明治の頃までは40余戸の集落であったが、逐年減少し遂に昭和41年以降全くの無人と化した。今は社寺と朽ちかけた廃屋、石積みの屋敷跡それに幾百年かを経た野生の梨の巨木の点在と、かりんの老樹が昔を偲ばせ、時おり山鳩の声が峡にこだまする静寂の里である。西之郡とは、現在の蒲郡のことである。
【右:きら 左:よした】
東金野の竹内英男さんの家の前を流れる、円蔵寺川のせせらぎに架けられ
た青木橋のたもとに、自然石に刻まれた標柱があり、それがこの道標であ
る。
きらとは、幡豆郡の吉良であり、よしたとは、言うまでもなく現在の豊橋
である。
この道標は、昔吉良の商人が私財を投じて建てたとの話もあるが、あきら
かではない。
広報みと:❶いしぶみ 昭和47年9月20日号より