【右:御油道 左:稲場ミち】
東金野の塔ノ山を背にして県道豊川蒲郡線と町道847号線(本郷道)が分岐する地点に文政8年(147年前)に安置された観音像があり、像の光背の周縁にこの文字が見られる。
ここを右に行けば、灰野坂を越えて御油に達し、左をとって山すそ沿いのだらだら坂を120米程進むと、更に道が二手に分かれる。これを右に入ると井戸坂と称する爪先上りの急坂にさしかかる。この井戸坂の左側一帯の丘陵がいわゆる稲場(いなんば)である。ここは日当たりと風通しに恵まれ、昔村人が稲の干場として共用し、又村の草刈場でもあって稲場の呼称は、そこから出たものと言われる。なお稲場の南隣りには上納米を格納した郷倉の跡地がある。
【右:豊橋道 左:御油道】
東金野の岡田重雄さんの門口の西寄り、道路沿いの崖に小さな洞穴が造られ、中に仏像が祀られて前掲同様道標にも利用されている。この石像の前は 県道豊川蒲郡線が走ると共に県道金野牛久保線の起点でもあり三叉路を形成している。以前は両県道に挟まれた分岐点に建てられていたが道路改修の際現在地に移された。建立の時期は不詳であるが、豊橋道とあるので余り古くはな
いと思われる。ちなみに吉田藩が豊橋藩と改称されたのは明治2年6月である。