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灰野・さだかでないが、羽渭庄の変化といわれる。
金割・むかし、弁慶が陣鐘にするつもりで、国分寺の鐘をここまで曳きずってきたとき、鐘が急に「国分寺へいのう・国分寺へいのう」といって鳴いたので怒って傍にあった岩に叩きつけた。鐘がわれたので鐘破りとなり金割に変化した。
金野・前記灰野、金割2村を合併して大字金野としたのは明治9年のことであるが、これは何の意味もなく、双方から一時ずつとって、大字名としたものである。 広報みと:❸郷土のいわれ 昭和48年7月20日号より