地名の起源はその歴史が古くさだかでないものが多い。例えば田中とか松原という様な地名は、読んで字のごとくと思われるがその他色々ないわれのあるものも多い。
それらの多くは死語化して現在用いられていない古語によるものか、富士山のふじはアイヌ語で火を意味するという様なアイヌ語に基づくものも多かろう思われる。
さて、昔の御津というのは森下・茂松・灰野・金割・丹野・山神・赤根・大草・泙野・西方・広石・大塚の12ヶ村を範囲として御津庄12郷と呼ばれていた様であるが、地名の起りは第8代孝元天皇、この地に御船を着けたもうによって、御津の湊というと総国風土記に出ており三河二葉松にもそれがみえる。
御津の名が古文献にあらわれたのは、元暦3年編纂の文徳実録に仁寿元年10月御津神に従五位下を授くとあり、また延長5年に成立の延喜式巻九には宝飯郡六座として御津神社が明記されている。
さらに承平年間に成立の倭名類聚鈔にも御津という名がでている。
以上の様に御津とはかなり古くから用いられた名称である。
広報みと:❸郷土のいわれ 昭和50年1月20日号より