源頼朝が永暦元年(1160年)伊豆に流されてゆく途中、豊川の渡りにおいて、御堂山にある全福寺の観音様の霊験あらたかなことを耳にし配所につくや、一心に源家の再興を祈願た。その甲斐あってか、遂に平氏を滅ぼし、建久元年(1190年)任官のため上洛の帰途、赤坂の駅に至り大願成就したことを感謝して全福寺に参拝し、三河の守護職、安達盛長に命じて馬を献納せしめたが、翌年その馬は走り去って、今の御馬の地にとどまり、数ヶ月間若草を食べていた。村人はおそれて誰もとらえようとする者はなかった。ある日、一声いなないたかと思うと海を越え今の姫島に渡ってしまった。これによってこの島を飛馬島と名付けられたという。
このことあって、引馬という地名が御馬に改められたという。
ちなみに、引馬野というのは、古くは海岸線が後退していて、この附近は、低沼野の状態あったから、低沼野といわれたのが引馬野に転じたといわれたという説もある。