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御津町商工会

◇ 地名考④ 西方・泙野

西方・海に面し、潮が満ちればかくれ、干けば現れるようなひがた、あるいは入江の状態を潟といい、西の方にある潟ということから西潟となり、やがて書き易い「方」の字を当てるに至ったといわれる。又古くは広石からの分村ともいわれる。

泙野・万葉集にある有名な阿礼の崎が、音羽川の河口附近にあり、名のとおり荒れの崎であったが、これに対して今の御津川河口は平和で静かななぎ野という状態であったから、なぎのになったといわれる。ここも古く広石からの分村といわれる。
又、伝説によると、ここに住んだ飯盛長者が最愛の1子を失い悲しみにくれていたところ、夜な夜な戸外に愛児の泣き声が聞こえるので、益々たえがたい気持ちにおそわれたが、折よく通りかかった行基菩薩に救われ、観音像を彫刻してもらい、これを本尊といて我子菩提のために竜光寺という寺を建てたという。長者の悲泣と愛児が野外に泣いたことの故をもって古くは地名を泣野・または鳴野と書き、後、泙野に変化したといわれる。

       広報みと❸郷土のいわれ 昭和50年4月20日号より