山号は観流山といい、ご本尊には聖観音が祀られています。曹洞宗の法住寺の末寺ですが檀家がなく、赤根区持ちの寺となっています。
創立は不明ですが、慶長(1596~)ころの古地図等に祐泉庵または惣庵と記されており、いずれも遊泉寺のことでありました。当時は別に心竜院・海蔵庵という寺があったともいわれ、この2つの寺の所有田畑については検地帳にも記されています。また「かいそうわん畑」という地名が古地図に出ており、そこが海蔵庵の所在地と思われます。古記録には遊泉寺の南に法住寺の「寺屋敷」と記入があり、これが心竜院の跡ともいわれ、明治10年頃まで土塁の跡などもあったといいます。
真(心)竜院前住峰岩雪公和尚が寛永19年(1642)示寂と法住寺の過去帳にあることから考えれば、心竜院の建物は既にそのとき廃絶していたといえましょう。ともかく、遊泉寺の開基は中林允公和尚で、この人は天正元年(1573)2月15日示寂されたので、その存命中に創立されたものではないでしょうか。
薬師如来と薬師堂
境内の西側に薬師堂が独立して建ち、本尊の薬師如来は、恵心僧都の作としてあがめられています。天正11年にご開帳が行われたとの記録があり、以後50年目に一度という習いになっています。領主松平長三郎は明暦2年(1656)に遊泉寺の除高(免税地)5斗目のお墨附を下付して寺の保護を図りました。
また、安永3年(1774)には領主一色主水は、永代灯明料として金10両を寄進し武運長久を祈願しました。
このように霊験あらたかな薬師如来が祀られていた薬師堂は、昭和41年5月に火災が発生、全焼しました。しかし、赤根区民の熱意により昭和46年に工費90万円をもって建立され、薬師如来の遺徳は今も深くしのばれています。昔は半郷山中にありましたが、安永2年(1773)遊泉寺境内に移転されました。
元の所在地は薬師山と称しましたが他に売却されたそうです。
現在、お薬師様は毎月七日に諸願成就・無病息災のご祈祷がつとまり、参詣する人も多くいます。
特に、11月7日は大祭として御祈祷があるほか、餅投等の行事が盛大に行われ多数の参拝客で賑わいます。
役行者と庚申塚
境内の南西に石造の祠があり、行者像が祀られています。毎年9月には不動院(相楽町)住職が来られ、禅宗同行(40数戸)の人々が集まってお祭りをしています。
行者様の北隣りには庚申塚が祀ってあり、これも禅宗同行の人たちにより、毎年四回庚申の日に庚申まつりが実施されます。
行者像、庚申塚は、もとは寺の北方300mの場所にあったのを、明治初年に本寺境内へ移したそうです。
信仰者の多い寺ですが無住となり、本山の法住寺方丈が出張して諸務を管掌しています。
みと歴史散歩:❺海沿いの道 平成12年2月発行より