台風13号と被害
昭和28年9月、台風13号が襲来し本町はかつてない大被害を受けました。海岸線は延ベに2805mにわたり大破決壊し、海水は赤根・大草・汗野の南より西方の大福屋裏を経て南部小学校に至り、さらに下佐脇の村落間際まで浸入しました。
同年10月、三浦町長から各方面に提出した報告書によれば、高潮潮位4・6m、風速35~45m、波の高さ2・5m、被災者総数2740人、家の全壊又は流失したもの46戸、半壊132戸、住家浸水296戸、田畑の流失、埋没1町歩、田畑の冠水は210町歩でありました。25日~28日まで炊き出しを行い、延べ8300人に供給されたそうです。当時御津南小にいた大瀧先生の述懐では、余りに多量の握り飯作りで手がだるくなり、後には握る力もなくなったとのことです。
海岸の復興ができると図らずも天皇・皇后両陛下の行幸啓が実現し、親しくご視察を賜る栄に浴しました。これは災害の規模がいかに大きかったかを物語るものといえましょう。
実は御召艇に乗って海上からご覧になるご予定でしたが、当日雨模様の天候が幸いして、大草海岸に玉歩を運ばれることに変更されたわけであります。
海岸復興記念碑
愛知県が昭和32年10月に建てた「海岸復興記念碑」の碑文は高い所に位置し、着色もされていないのでとても地上から読むことが無理ですから次に書いておきましょう。
「昭和28年9月25日夕刻秋分大潮の満潮時に知多半島南部から三河湾を北東に向っかって来襲した台風13号は県下全域に亘て甚大な被害を齋しその総額675億円に達したが特に海岸の被害は激甚を極め被災延長156粁復興所用額150億円に達した爾来関係当局の格別なる配意と県民の撓まっざる努力に依り漸く今日の復興をみるに至た去る昭和32年4月11日には天皇皇后両陛下この地に親臨され未曽有の大事業たる海岸堤防復興の状況を審さに御視察遊ばされた翠に両陛下の行幸啓を記念し海岸復興の碑を建て永く県土守護の象徴とする昭和32年10月」(原碑にはルビなし)
復興記念碑の反対側には御津町が建てた記念碑「天皇・皇后両陛下御野立所」があり、植木に囲まれた庭園の中に立っています。
台風13号当時の長老(赤根)は「60年前の明治時代に台風13号と同規模の台風が来襲し、海岸一帯は強風と高潮で大被害を受けて死者も出た。高潮の恐ろしさにこりて住居を山に近い高台に移した人もあったよ。」と語っていました。それから六年、昭和34年9月26日には、あの死者5000人以上を出した伊勢湾台風が襲っています。自然災害はいつやってくるかわかりません。
水死者追弔碑
前述の60年前とは、明治22年9月11日の猛烈台風のことで、強風と高潮で死者11人を出した大草では、亡くなった人の霊を弔って共同墓地に「水死者追弔碑」を25年9月に建立、今も美しい花がたえません。
みと歴史散歩:❺海沿いの道 平成12年2月発行より