明治以前、大草には大須賀三氏がそれぞれを氏神としていた天満宮、諏訪社、八幡社の3社がありました。
諏訪社は字東郷3に、八幡社は字外新田39に鎮座されましたが、明治初年の一村一社の制にならい、当時尊崇の厚かった天満宮をもって村の鎮守社と定めました。明治5年大草神社と改称し、同年正月村社に列せられました。ついで翌6年3月祠堂悉皆廃却令が発布され、私有社への風当たりが強く、6年4月諏訪社と八幡社は大草神社に合祀され、字神田22番地に鎮座となりました。
その後、大正12年1月1日夜から2日未明にかけ、乞食の失火により、社殿は全焼しました。この時牛久保町の大火に出動した大草消防組は、その帰途、氏神様の火災を望見し駆けつけたといいます。焼失後、字東郷にあった秋葉神社も合祀し大正12年2月10日現在地に遷宮しました。
天満宮は永禄2年(1559)に創立されたことが棟札からわかっています。祭神の菅原道真公は学問の神様としてたいへん有名、入学祈願等で多くの参拝客もきます。神社の境内にはたくさんの紅梅、白梅の若木が植えられていて、満開時の花はたいヘんきれいです。
大草神社の例祭日は3月最後の土・日曜日に行われます。当日は投げ餅もあってたいへんにぎわいます。
みと歴史散歩:❺海沿いの道 平成12年2月発行より