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明治の中頃、当時少数の農家の部落であった西方が、鉄道がしかれ駅が置かれたことにより急速に発展する様相をみせてきた。 そこで西方の海岸に港を築こうのとの声が高まり、明治40年に起工着手したのである。様々な問題を克服し、塩田であった所を港へと変えていった。 木材や数多くの物質の搬送があり、西方港は商港として栄えつつあったが、昭和28年の台風により海岸が被害を受け、港も閉鎖を余儀なくされた。その後港は埋め立てられ、町営住宅として生まれ変わり、御津町のまた人間に対する貢献は形こそ違い大きなものがある。 広報みと:❷故郷の今昔 昭和49年8月20日号より