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御津町商工会

★ 五社宮本殿 (6-②)

156.png五社宮本殿は3間社切妻造りで、1間向拝付きといい、これは中央のお賽銭を挙げるところに庇が突出している形ですが、屋根は棧瓦葺という現在世間にある瓦屋根と同じものでしたが、今回昭和57年度の修理で銅版葺にかえました。修理監督は愛知工業大学教授で国と県の文化財保護審議委員である浅野清氏の支持を受けた権威者安藤守人氏で58年3月20日落成式をみました。屋根瓦の重みで両桁の端が垂れて中央が持ち上がり柱との間に隙間ができていましたので屋根を軽くするため銅版にかえたのです。その他、本殿が招魂社にくっつき過ぎており、常に雨だれを浴びて向って右方の破風や柱の腐れがひどく一部交換修理を加え、且つ雨害を避けるため本殿を招魂社より2メートル弱南方に引き離しました。今回修理の指導に当られた浅野氏のお話では、この本殿は江戸時代初期の建造物であり沢山の棟札があるなかで、延宝5年(1677)造営となっているものに相当し、当時の建築様式をよく伝えており、このころの社殿としては愛知県内でも30棟を教える程度であり大切にしたいとのことでした。昭和57年9月29日町の指定文化財になりました。本殿の改築につきましては、普通ならば取りこわして簡単な社殿にかえてしまうのが落ちですが、宮司、区長始め出身超議員、氏子の人々が熱心に旧社殿の保存に尽されたことは特筆すべきことです。
ご由緒については、字御所の地に大宝2年(702)持統上皇が三河に御幸なされたときの行在所跡で、あって後世の人は、その聖地をけがすことのないようとの考えから小社を創建し御所宮としてお祀りしたのがはじまりで、やがて明治6年維持資力のない神社は廃却せよとの触れが出されて、これを(下)佐脇神社に遷したわけでした。当初、5座あった祭神のうち2座を御馬に残してきたとの伝承があります。現在は竹本家の藤社と天王社を合祠しています。

         広報みと❽文化財(その他) 昭和61年8月15日号より