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御津町商工会

㉑ 『羽田野栄木(敬雄)の生家』

86-1.png国学者平田篤胤の高弟であった羽田野栄木は、のちに今の豊橋の羽田文庫を創設した人ですが、もとは寛政10年(1798)この西方村の山本兵三郎茂義の第4子として生まれました。三河における第1級の国学者であって、あるとき盗賊が山本家をのぞいたところ深夜であるというのに、まだ子供が起きて勉強しており寝たら入ろうと思って待ったがとうとう一晩中入らず盗賊の方が音をあげてしまいました。これは後にその盗賊が捕らえられて役人に白状して分かったことです。これが少時の栄木でした。この話が縁で彼は文政元年(1818)21才のとき羽田八幡の神官をしていた羽田野敬道の養子に迎えられたとのことです。非常な勤勉化で、たとえば27才から40才まで14年間に貸本が2361巻、借本は2076巻などというメモが残っています。後に嘉永元年(1848)羽田文庫を設けようとして一般から寄付を募ったのですが、水戸の徳川斉昭から破邪集8巻、三条大納言から類聚国史30巻などが贈られ遂に10360余巻に達しました。ここで勉強した人の中に勤王家山本逸夫がおり、また福羽美静、この人は津和野出身の森鴎外、西周とともに同市自慢の3名士の一人で子爵となった国学者です。また陸軍大将大久保春野なども書生同様の形でこの文庫で勉強をした人です。他に、天誅組生き残りの北畠治房男爵や人斬り以蔵として恐れられた岡田86-2.png以蔵あるいは藤森弘庵また井上頼圀(文学博士・学習院教授)、(あがた)勇記(三陸修理に力を尽す)などの学者や志士たちで栄木の家にかくまわれて危険を脱した者も多数にのぼりました。これらの人は明治に入ってからも世のために活躍した有名人です。栄木は握り飯を焼味噌を携帯して史跡等をこまめに探訪したとのことで「三河古蹟考」以下22種の著書や家記の類15種が残されています。明治15年85才でなくなりました。辞世、今日までは神のまにまに世をぞ経しまからん後も神のまにまに

          広報みと❺文化財 昭和55年9月15日号より