小規模事業者の活躍を応援します。

御津町商工会

⑩ 『穴観音古墳』

66.png茂松の集落の裏手、上野山一帯は時おり石器時代の土器片が採集され、先住民族が住んでいたところと思われます。その東方に「穴観音」という観音さまと行者さまとを祭った場所があります。この穴観音さまは、昔の古墳時代につくられた古墳の石室を利用して、いつのころからか、安置されてあるものです。
開運、健康の観音さま、諸願成就の観音さまとして名高い穴観音さまは、誠に穴かしこと申し上げたいよい名称です。古老の伝えるところによれば、「願いごとがかなえられれば何々を奉納します」と観音さまに約束した物は必ず差し上げねばならないそうで、約束を破ると元にもどされてしまうとか。やむを得ないときは紙片に氏名をかき、たとえば奉納石灯篭一対と書いたものを置いてくればよろしいとのことです。
さてこの穴観音は別名を岩屋観音ともいわれ、伝説によりますと武烈天皇(499-506)のとき全国に火の雨が降るといううわさがでて、避難用に造られたものということですが全国的に火穴塚といわれるものと軌を一にします。
皆さまご承知のとおり、これは火除けの穴ではなく、今から1300年くらい前に造られた古墳でありまして、その大きさは後室の奥行3.8メートル、幅2.1メートル、高さ2.5メートル、前室は長さ2.9メートル、幅1.7メートル、高さ2.2メートルとなっています。
一宮市史の岩野氏の話では、これは到底庶民のものではなく地方豪族のために造られた墓で、しかも大きな石が用いられ巨石墳の種類に属し、東三河では数が少なく県下でも西尾市、西加茂郡、岡崎市、豊橋市等に存在するだけで珍らしく、ただ入口部分の後補が惜しいとの事でした。

          広報みと❺文化財 昭和54年1月15日号より