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御津町商工会

⑤トヨテック本社社屋・倉庫

65-1.jpg観音堂から北へ200mほど行くと、左手にレトロな外観の建物が見えてくる。㈱トヨテックの本社社屋と倉庫で、かつて電話中継所として使用された建物である。
わが国における公衆通話の始まりは、明治22(1889)年であり、この頃の電話線は裸線(むき出しになっている導線)が用いられたことから、通話距離に限界があった。これを解決し、長距離通話を可能にしたのが装荷ケーブルと真空管中継器であり、昭和3(1928)年に東京・神戸間に初の装荷長距離ケーブルを使用した市外通話が開通した。この時、真空管中継器を用いて音声を増幅する施設として、電話中継所が9か所建設された。そのうちの1つがこの建物(豊川電話中継所)で、昭和27(1952)年まで利用された。
社屋の建物は鉄筋コンクリート造2階建で、北側2階の増築部分以外は建設当時の外観を留めており、内外装はモルタル仕上げで、縦長の窓が取り付けられている。中継所時代、1階は電力室、電池室、宿直室などが、2階には中継器が設置された機械室などが配置されていた。現在は事務室などに改装されているが、高い天井や縦長の窓、階段等の意匠に当時の面影が残っている。
本社社屋の北東にある倉庫は、社屋と同じ時に建てられ、電話中継所時代も倉庫として利用されていた。鉄筋コンクリート造平屋建で、社屋と同じで内外装はモルタル仕上げである。しかし、建物の隅、上端部を丸くして面を取ることや、方形に近い窓が付くなど、社屋とは対照的な特徴ももっている。

    豊川の歴史散歩豊川の町から牛久保の町へ 平成25年10月発行より