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御津町商工会

⑯ 『寒佐神社』

111.pngもと、無格社でした。無格社というと県社とか郷社とかに対し格のない社ということですが、格はないと書きますが実は無格社という最低の社格があったわけです。御祭神は天之押雲命です字青木42の1に鎮座せられます。「神社を中心としたる宝飯郡史」によればむかし山林の私有権が設けられていないころ他町村の者が村境をおかし、しきりに盗伐するのでたまりかねた村人は山の荒廃を防ぐため天正5年(1577)山頂に一社を創建して若宮八幡様をお祭りしたので、それかあらぬか盗伐騒ぎは静まったもののまた何かのことで紛争が起り八幡宮は字藤久保に移されさらに八柱神社境内へ合併されました。この八幡宮の棟札には八幡大神天太玉御神(忌部氏祖)とありますのでこの神は高皇産霊神の御子であり天児屋根命とともに天照大神に仕え天孫降臨のとき随従された神々です。さて当寒佐神社は八幡宮移転の跡地に造営されたと言伝えられ現存最古の棟札には奉勤仕若宮大明神本地天押雲命天神地秖神主大桑与兵衛大工木村角右衛門、寛文11辛亥年1月吉日(1634)三州宝飯郡灰野村と書かれています。天押雲命は天児屋根命(春日神、藤原氏祖)の御子ですから春日若宮ということになります。そのまた御子天種子命は神武天皇の東征に加わり従軍されました。
当社の本殿は貞享4年(1687)10月造営といわれ、これは大正7年10月に改築し同日瓦葺きの雨覆殿が造られました。鳥居をくぐると石段が続きますが鳥居は木造で古びており文化2年8月27日(1805)建立という記録どおりの時代のものでしょうか。若宮という名から八幡様と誤伝されたと推察しますが春日若宮というのが本当と思います。前の八幡様と混同されているかも知れません。明治21年1月寒佐神社と改称されました。小社ながら今でも大桑弘治同隆岡田太吉同隆稔同米子(2戸分)の6人の氏子の人人によって固くお宮は管理され、祭日には餅米1升ずつを持ち寄り祭典を厳修し参拝者には餅を施す習いが続けられています結構なことと思います祭日は旧9月9日でしたが今は新の10月9日です。

      広報みと❻文化財(神社 昭和57年10月15日号より