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御津町商工会

⑰ 佐脇刀祢太夫の墓

下佐脇の130.jpg馬市場という所に、こじんまりした森があり石造物が立ち並んでいます。なかでも土地の人々が「五輪さま」と呼んでいる大きな石塔は時代を思わせます。この石塔は、佐脇城最後の城主であった佐脇刀祢太夫の墓と伝えられています。刀祢太夫は藤八兵衛と称し、奥平九八郎の与力として天正3年(1575)長篠の戦いに参加し討死しました。
この石塔は、様式的にこの地方には類例の稀な作例とのことです。台石が約80㎝の方形、塔身部の高さ約43㎝、笠巾約93㎝と、さしたる大きさではありませんが、重厚な感じを与えています。笠のやや強い反りと、塔身の扉の線刻とがアクセントになっています。「村中安全」と彫られた長方形の石材は、石質も違い後に加えられたものr です。
刀祢太夫の子孫は佐脇四郎左衛門といい、700石を知行し大番組という幕府本営の護衛を任とする役を継承して栄えましたが、故あって家はたえました。ところが別に、佐脇十左衛門と佐脇伝十郎という2つの支流があって、これもやはり大番組や小普請組に勤務し後世まで続きました。
この石塔の左手には役行者様の石像が、右手には元禄13年(1700)の庚申様の文字碑と、宝永7年(1710)の西国三十三所観音碑(自然石)が祀られています。

       みと歴史散歩❸音羽川の周縁 平成12年2月発行より