東漸寺を出て西へ500m進むと、若宮八幡杜の正面に出る。若宮八幡社の始まりについてはよく分かっていないが、15世紀の中頃に本多家が伊奈城を築いてからは、その守護神として崇敬が篤かったようである。第3代城主本多正時の時代の明応6(1497)年には、銅鐘が奉納されたことがその銘文から分かり(この銅鐘は戦後に盗難にあい、今は見ることができない)、昭和2(1927)年には郷社昇格を記念して、本多家の子孫より歴代城主が合戦の際に使用したと伝えられる面頬(市指定有形文化財、合戦の際の顔面保護のための防御具)が奉納されている。
伊奈天神社社殿【市指定有形文化財】
伊奈天神社は、延命寺(平井町)の古文書によれば、文明から明応の頃(1469~1501)に第3代伊奈城主本多正時(泰次)が、「歴世子孫尊崇」の神として祀ったのが始まりという。現在の社殿は、寛永10(1633)年に当村の富豪・中村源助が再建したものである。社殿は一間社流造という構造で、創建当時の面影を残しており、特に彫り物は優れ、江戸時代初期の社殿建築として貴重なものである。現在は鞘堂に覆われ保護されている。
若宮八幡社のイヌマキ【市指定天然記念物】
イヌマキは、おもに本州中南部以南に分布する常緑針葉樹で、一般的には暖地の常緑広葉樹林中に生育する。茎はまっすぐに伸び、枝先は上を向くが、大木になると枝先は垂下する。三河地方では海岸部に多く、屋敷や畑を囲む防風林としても多用され、その葉の形状から「ホソバ」の名で親しまれている。拝殿東手前のイヌマキは樹高13m、西手前のは樹高14mあり、ともに樹形は良好で、特に東のイヌマキは下枝が枝垂れ状に長く垂れ下がるのが珍しい。いずれも雄株で、樹勢も良好である。第3代伊奈城主本多正時(泰次)が社殿再建の際に植えたとの言い伝えがある。
豊川の歴史散歩:❸小坂井の町から御津へ 平成25年10月発行より