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御津町商工会

★徳川家康の朱印状と寄付状(大恩寺) (7-㉔)

159-1.png徳川家康は先祖供養のため、大恩寺へ祠堂銭を納めておいたのですが、大恩寺にいた叔父の成誉上人はこの金を利用し、寺のためにと考え田地を買い求めておかれたわけですが、家康は遠州浜松にあってこのことを聞いたのでしょう、早速使者として牧野左近を大恩寺に走らせ、田地代となって消えた祠堂銭の本銭を充足返金させたのでした。そして、東三河八幡領2町5反、一宮領5反合計3町歩を大恩寺へ寄付したのでした。以上のことを記したのがこの朱印状です。右肩に「福徳」という字を彫った家康のまるい朱印が押捺されています。 これが家康の朱印状で左上の写真にでているものです。書かれていることを読み下し文にしますと、「大恩寺成誉上人司(祠)堂銭を似て買得の事、東三河八幡領2町 5段、一宮領5段は使牧野左近、但し本銭は之を返す。右何れの領中たりと雖も新寄進の上は相違あるべからざる者也。仍って件の如し。天正弐年参月四日」
なお、左下の写真は「御津大恩寺領寄附状、三河国宝飯郡広石村の内百石の事。全て寺務す可し、並に山林竹木諸役先規の如く免許せしめ訖れば、仏事勤行修造等懈怠あるべからざる者也。仍って件の如し159-2.png。慶長7年6月16日、内大臣、御朱印」
これは寺側で写しとった写しであって、本物は将軍が代るごとに前将軍の例にならって新規に朱印状が交付されたので、前の朱印状は返還されたとみえます寺としては貴重なものだから写しをとり大切に保存してきたものでした。そしてこの朱印状は徳川幕府成立以前に発行されたもので、珍しいと思います。
因みに100石の内訳は、古来、徳川家の永代供養料として53石、諸堂の修覆料として30石、寺内にある6ヶ院(むかしは二〇軒あった)1院につき3石分ずつ、これは家康の祖先三河8代の菩提、法令等のお勤め料として計18石というふうに大体の割振りがなされ、年行事立会の上厳重に執行するようとの総本山からもお定め書がきておりました。

         広報みと❽文化財(その他) 昭和61年12月15日号より