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御津町商工会

劇場の変遷

①七福座と呼ぶ芝居小屋が現御津郵便局の北100m程の所にありました。設立の時期は不詳ですが、山本家文書で明治34年には存在したことが立証されます。
柿落としには、大塚村の役者が「錻力屋騒動」と題した狂言を演じ、好評満員であったと伝えます。小屋は大正5年頃取り壊されて船で渥美郡福江町へ運ばれ、再び劇場として活用されたと、地元の古老は語っています。

②京楽座は愛知御津駅の北方200m程の位置に建てられ、その時期は大正7年頃といわれています。26.jpg12年10月に劇場の維持 資金確保のために、西方の有力者が中心となり他村の人の賛助も得て「京楽座融通講」を設立して、経営努力が払われていました。しかし、15年9月の台風で竜巻が起こり、それに巻込まれて倒壊し、使命を終えました

③御津劇場は昭和3年5月に発足した御油駅前融通講によって資金調達等が行われ、京楽座跡の西隣に建設されました。木造二階建てで客席は畳敷、売店を備え下足番もおりました。当初は芝居、浪曲主体の興行でしたが活動写真も始まって、画面を説明する活動弁士の名調子と、楽隊の奏でる音楽が観客を沸かせました。それがトーキーに変わりレビューや漫才も登場し、ついで戦時色の漂う時局映画に移行しました。

戦後の一時期は、大江美智子など著名な俳優も来演し盛況でしたが、都市の復興で終止符を打ち、テレビの普及により映画も衰退し、43年には遂に劇場閉鎖に追い込まれ、46年4月不慮の火災で焼失しました。

          《平成12年2月発行 みと歴史散歩より》