小規模事業者の活躍を応援します。

御津町商工会

⑭赤塚山

旧豊川電話装荷線輪用櫓をあとに東三河環状線を東に700m進み、角にガソリンスタン225-1.jpgドのある信号交差点を左にまがって北に行くと赤塚山が近づいてくる。この山の一帯には、赤塚山公園が整備されている。公園の建設に先立ち発掘調査が行われ、三河国分寺・国分尼寺で使用された瓦を焼成した窯跡や古墳などが発見された。

赤塚山古窯
赤塚山の南山麓では、以前から古瓦が採集されることが知られ、三河国分寺・国分尼寺で使用した瓦を焼成した窯跡の存在が推定されていたが、平成2~4年度の発掘調査で窯跡4基と瓦を製作した工房の建物跡などが確認された。窯はロストル式平窯とよばれるもので、焼成室内の炎の通りを良くするための工夫が施された構造になっている。また瓦窯跡の西側から発見された工房跡では、掘立柱建物の作業場、竪穴住居、粘土こね場、粘土貯蔵穴が確認され、粘土は近くで採取したと推定される。出土品から瓦窯及び工房は、9~10世紀にかけて操業していたと考えられる。

赤塚山の古墳
赤塚山では、明治42(1909)年に古墳から士器が出土したと伝えられ、周辺に古墳が存在することが推定されてきた。公園整備に先立つ発掘調査では、6世紀末~7世紀初頭の直径約17mの円墳である赤塚山第1号墳が発見された。横穴式石室の石の多くは抜き取られていたが、石室の床面からガラス小玉約200個や金銅装耳環2個が出土した。金銅装耳環は直径2.4㎝の銅の環に薄い金の膜を貼り付けたもので、1400年余の時を経たものとは思えない輝きを保っている。公園の歴史のエリアには、古墳のような小山があるがこれは古墳ではなく、その地下に赤塚山第1号墳が保存されている。また、公園の東にある東池の北側でも古墳が発見されており(赤塚山東池古墳・6世紀中葉)、こうした古墳の存在や赤土の山肌が「赤塚山」の名称の由来となったのかもしれない。

鳥居強右衛門勝商顕彰碑227-1.jpg
赤塚山の中腹には、長篠の合戦で一命をかけて落城寸前の長篠城の兵を救った、市田出身の鳥居強右衛門勝商を顕彰するため大正2(1913)年に建立された石碑と辞世の歌碑(大正3年建立)がある。

赤塚山公園
赤塚山公園周は、平成5年7月に豊川市制施行50周年を記念して開園した総合公園で、市民が気軽に集い、ふるさとの身近な自然を楽しめるリラックススペースとして親しまれている。園内には、東三河唯一の淡水魚水族館である「ぎょぎょランド」、ロバ・ヤギ・ウサギなどとふれあえる「アニアニまある」、水遊びのできる「水の広場」、イベントやサッカーなどができる「市民のスクエア」や花しょうぶ園・梅園などがあり、1年を通じて大人から子供まで楽しむことができる。

   豊川の歴史散歩:❺三河天平の里から財賀・萩の山あいを行く 平成25年10月発行より