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御津町商工会

⑭瀬木城跡

41-2.jpg霞堤を出て西に向かうと、すぐに霞堤の上を通る道がある。これを西へ進み、300m先で北側に下りて道なりに進んで行くと、左手の森の中に神明杜という神社がある。この境内及び周辺が瀬木城跡である。
瀬木城跡は、神明社境内に主郭(本丸)の西半分が残されており、土塁、堀跡や北酉部の虎口(出入口)などを見ることができる。この城を描いた絵図として『諸国古城之図』(広島市立中央図書館蔵)があり、これには主郭の南北に付属の曲輪が描かれている。この曲輪は、明治時代の地籍図の道筋とほほ一致するため、ある程度往時の姿を表したものと考えられ、神明社境内の南北に、主郭に付属する曲輪がかつて存在したと考えれる。
『牛窪蜜談記』によれば、瀬木城は、明応2(1493)年に牧野成時(古白)が牧野城につぐ第2の居城として築城したという。また、同年に成時は、一色城主の波多野全慶を灰野塚の戦いで破り一色城に入城し、長男を牧野城に、次男を瀬木城に配置したとも伝えられる。

    豊川の歴史散歩豊川沿いを行く 平成25年10月発行より