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御津町商工会

④ 川尻婆

赤根や大草の人が雨の降る夜に、泙野の方へ歩いてゆくと、むかしは今とちがって道は右に左に曲がり曲がりしていたが飯盛塚(土地の人は、いいもりといわず、ゆきもりと呼ぶ)に近づくと、そこから赤い色をした提灯くらいの大きさの火がでてきて、ふわりふわりと自分の方に向かってくるこれを、古提灯がでたといった。そばまでくれば正体もはっきりするのであるが、少し前までくるとぱっと消えてしまうのである。しばらくたつと今度は火の玉は、自分のうしろの方を去ってゆきやがて消えってしまう。これがまた大きくもなり小さくもなり、右に左に飛んだりすることもあったということで、ある古老は、前を近づいてきた火の玉が消えたとき、何気なくうしろを見たら、一人の婆さんが立っていて、ふとその顔をみると口が耳のところまで裂けていたという。
明治、大正生まれの人で見たという人は数多い。これが、むかし川尻婆ともいわれ、また泙野の怪火などともいわれたのである。東海道の小田渕なわてによくでたといわれる古提灯とともに世に有名であった。

         広報みと❹郷土の伝説 昭和51年8月15日号より