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御津町商工会

④ 西南役戦死者之碑

4.png明治10年の西南の役に、名古屋鎮台の兵士として勇躍従軍し九州の山野に散った、宝飯郡出身のつわもの白井重平、清水台助、斎藤皆蔵、鳥山房吉、寺部虎蔵の5人の勲功をたたえ、その慰霊のために、明治32年の夏御津村広石渡辺鎌造、牛久保町正岡鐸木甲蔵の発起によって、新宮山の中腹にこの碑が建てられた。
開発の波はここにもおし寄せて、今は、碑の足もと近くまで山肌が削り取られて、赤茶けた崖上に孤立したようにたたずんでおり、その存在を知る人も少なく、時代の移り変りを端的に物語っている。
ちなみに、この碑が建立された当時の宝飯郡は、次の8町25村から成り立っていた。
萩村、長沢村、赤坂町(以上旧音羽町)本茂村、桑富村(以上旧一宮)麻生田村、豊川町、睦美村、明子村、牛久保町、穂原村、平幡村、白鳥村、国府町、御油町(以上旧豊川市)大村、下地町、鹿菅村、前芝村(以上現在豊橋市)豊秋村、伊奈村(以上旧小坂井町)佐脇村、御馬村、御津村(以上旧御津町)大塚村(一部旧御津町、一部蒲郡市)三谷町、豊岡村、蒲郡町、静里村、神之郷村、塩津村、形原村、西浦村(以上現在蒲郡市)

        広報みと❶いしぶみ 昭和47年7月20日号より