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御津町商工会

② 広済寺

179.jpg当寺は法住寺の末寺で、山号は普沢山といい、普とはあまねく、沢は恵みで、広済とは広く大衆を救い上げるという誠に有難い山号寺名といえましょう。本尊は古書に阿弥陀如来と記されていますが、住職の話によると釈迦如来であるといわれます。
本尊台座裏に墨書銘があり、始めの方は読みにくく、途中から「点眼法住寺3世和尚.当寺住持宗□代76歳之時」とあり、「于貶明暦2丙申年(1658)南呂(八月のこと)念8日(28日)」と記されているので340年余り前の仏像といえましょう。
広済寺の開山は楽雲音公首座であって弘治3年(1557)に示寂されているから、それ以前に創建されたのでしょう。

十王堂
本堂左側に独立した十王堂があり、その中心に地蔵様が祀られています。文政3の広くわたせる寺の御法は」という歌になっています。
閻魔大王の台座には「尾州名護屋本町通12丁目仏師井上重兵衛同又兵衛、像之作、安永戊戌年(1778)右十王十3躰」と銘があります。
この十王堂は広済寺とともに神場にあったらしく、同地の小字名に広済寺畑、十王前、堂の後などが残っています。なお境内には寛文期(1661)の円柱形西国三十三所観音碑、寛政2年(1800)の千手観音像の道標などがあります。

       みと歴史散歩❺海沿いの道 平成12年2月発行より