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御津町商工会

㉗ 松茂庵(廃寺)

82.jpg曹洞宗に属し本寺は豊川の妙厳寺。山号は鶴臨山といい、開基は即天院玉寅法印で、本尊は阿弥陀如来です。寺伝によれば、戦国時代、当地の豪族だった波多野氏は、代々森下入道を称しましたが、その一人全古は名を忠基といい松平清康に従って今川氏と戦い、永禄元年(1558)赤根の寺原で67歳で討死しました。三男の忠茂(改め正茂)も天文15年(1546)三州上野広久手の戦い等で武功をたてましたが、永禄3年5月桶狭間の戦いに41歳で討死しました。戒名を正茂院堅相受帥居士といいます。
そこで、正茂の父忠基の末弟忠政は真言宗の僧となって玉蔵院と号し、のち則天院と改め玉寅法印と称しました。この人が甥正茂の菩提を弔うため、名をとって正茂院という寺を森下村の地内に建立して開山となり13石余の田地を寄進しました。
この場所は低地で御津川の氾濫に悩まされ、正徳年間(1711~1716)に当時の波多野九郎右衛門宅東隣に移転しました。玉寅法印は天正4年(1576)4月に亡くなりましたが、この正茂院がいつの日か同音の松茂庵になったものと思われます。
ここはわずか数戸の檀家によって維持されてきましたが、戦後、台風で本堂が壊れたのを機に、仏像仏具を西方の忠勝寺に預けたので自然と廃寺に帰しました。現在境内は竹藪と化し、門前の石垣と門の向って左の釈迦(または弥陀)3尊と馬頭観音の2石像が祀られた石室と森下波多野氏の墓などが名残りをとどめています。

       みと歴史散歩❷古道に沿って 平成12年2月発行より