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御津町商工会

⑬ 岩畳神社

34.jpgこの神社は泙野神社の北方200mほどの御津山の中腹に鎮座しています。寛政9年(1797)発行の著名な『東海道名所図会』の御津神社の項に、「大島や千世の松原いし畳くづれ行ともわれは守らん。これは御津山の麓に岩の石畳あり、此所に別宮在す、これを御津ノ神御神詠遊ばし給ひしとある人のかたりき」とあります。
祭神についてはさだかではありません。石畳様とか症神様と言われてきたことや、泙野村を一望に見晴らす地点にあって村を守る恰好の地であること等から、村荒神として奉斎したものとする説が有力です。その時期は不明ですが、現存する最古の棟札は享保16年(1731)のものです。祭礼も古くから行われていましたが、何時しか途絶えました。
寛延2年(1749)の祭礼帳によると、荒神様と稲荷様が祭りをやめたことに立腹して、新屋敷西組の七之助の伜に取りつき、その口を通して稲荷様が申されるには「以前は祭りも行い食物も供えてくれたが、今は捨て置かれて誠に残念に思って暮らしている」とのお告げであり、村人はこれに驚いて、早速祭りを再興したとの記述があります。
七之助の子孫は代々家訓としてこれを伝え、今でも祭礼(御津神社と同日)には、生烏賊(またはスルメ)を奉納しています。
当社は前述のように、昔は御津神社の別宮とも称され、祭礼には必ず同神社の代表が参拝する習わしであり、それは今も継承されております。

        みと歴史散歩❶駅中心に 平成12年2月発行より