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御津町商工会

⑩ 西方港

31.jpg明治21年に御油停車場が開業して附近一帯は急速な発展を見せ、商業を中心とした町並が形成されましたが、それとともに、一層の発展を且ざす築港造成の機運が次第に高まりました。38年に塩が専売制となり、塩田が荒廃したことが、これを一段と助長しました。
まず舟囲場新設の許可申請を行い、40年に着工しました。工事は多くの西方区民の奉仕と低賃金による労力の提供の下で進められました。途中、手統の不備を郡役所から指摘されて困窮する事態もありましたが、公共性と避難港としての重要性が認められてこれを克服し、1年有余の歳月を費して完工を見せ、地種の組替えも大正6年に許可され官有地となり、第三種船溜場に編入されました。
かくして港の岸壁には倉庫も建ち並び、多くの機帆船が出入りして、地方商港としての機能を発揮しました。しかし、社会情勢の移り変わりや陸送貨物の利便性の向上等により、取り扱い貨物が次第に減少して港勢が衰退をたどる中、昭和28年の台風13号によって地域一帯は激甚な被害を被りました。
このため防災上の必要から海岸線に強固な護岸堤防が構築されることとなり、太平洋岸ではまれにしか見られない、陸地を堀割って築造された西方港も、閉鎖を余儀なくされてついにその姿を消しました。
これによって公有水面となった旧港内を、44年7月に町が払い下げを受けて、住宅団地を造成し「みなと団地」と命名し、45年10月町営住宅20戸を建設しました。

        みと歴史散歩❶駅中心に 平成12年2月発行より